沿革・歴史
HISTORY
地域と共に歩んだ
「安心」と
「信頼」の道のり
大雄会の歩み
地域と共に歩んだ「安心」と「信頼」の道のり。皆さまの笑顔を願い、大雄会の挑戦は続きます。
(大正13年)
9月 初代院長・伊藤郡二が岩田医院を開設
(昭和4年)
国産レントゲン「比叡号」を全国で最初に導入
岩田医院から「岩田レントゲン科医院」に改称
初代院長・伊藤郡二は、学究肌タイプで、早くからX線撮影と治療、およびラジウムに注目し、海外からあらゆる医学書を取り寄せて研究に没頭した。そして全国に先駆けて「比叡号」を導入。「尾張一宮に岩田レントゲン科あり…」と注目された。現在でも最新医療機器の充実は伝統的に生き続けています。
伊藤放射線科医院と改称
コバルト治療の研究を開始
レントゲン深部治療室を新設
コバルトを設置し、悪性新生物の治療に威力を発揮する
4月 医療法人大雄会を設立
初代理事長に伊藤郡二就任
1月 伊藤放射線病院と改称(病床数200床)
(昭和45年)
7月 血液透析センターを併設(透析器12台)
(昭和46年)
4月 大雄会一宮高等看護学院を開設
(昭和47年)
12月 愛知県の民間病院で初の「総合病院」の名称使用の許可を受ける(鉄筋5F 病床数132床)
(昭和49年)
3月 実習施設として大雄会第一病院を開設(病床数132床)
大雄会第一病院(平成8年に現在の建物になる前)は現在の管理棟の場所にありました。
4月 総合大雄会病院と改称
総合大雄会病院(右が南館、左が中館)
4月 学校教育法の改正に伴い、大雄会一宮高等看護学院を大雄会一宮看護専門学校と改称
2月 総合大雄会病院・中館を新築(総合大雄会病院、病床数288床となる)
8月 大雄会医科学研究所を設立
大雄会第二医科学研究所を設立
11月 総合大雄会病院の一部を改修してICU4床を付設
(昭和60年)
7月 国内6番目の導入となった超伝導MRIを設置
7月 総合大雄会病院にFCRを設置
10月 総合大雄会病院を改修(病床数322床に増床)
7月 総合大雄会病院、大雄会第一病院ともに基準看護の特2類の許可を受ける
4月 健診センターが竣工
4月 大雄会一宮看護専門学校が竣工
(平成3年)
7月 老人保健施設アウンを開所
10月 総合大雄会病院に1.5T超伝導MRIを設置
11月 病院医療の質に関する研究会による病院サーベイを受ける
10月 老人保健施設アウンに訪問看護ステーション・アウンを設置
4月 厚生省(当時)より臨床研修病院の指定を受ける
愛知県看護業務改善事業に参加する
11月 老人保健施設アウンにデイケアセンターを設置
(平成8年)
4月 大雄会第一病院の新築移転が竣工
10月 総合大雄会病院に脳卒中センターを設置
3月 総合大雄会病院が「財団法人日本医療機能評価機構」の認定を受ける
4月 厚生省(当時)より歯科医師臨床研修施設の指定を受ける
8月 新生訪問看護ステーション・アウンが業務開始
2月 大雄会第一病院が「財団法人日本医療機能評価機構」の認定を受ける
7月 アウン介護保険サービスセンターを設置
(平成14年)
1月 音羽デイサービスセンター・アウンを開設
4月 総合大雄会病院に核医学センターを開設
PET(ポジトロン断層撮影装置)を稼動
6月 大雄会第二医科学研究所を再設立
11月 大雄会第一病院に創傷ケアセンターを開設
12月 大雄会クリニック、大雄会桜分院を開設
3月 大雄会一宮看護専門学校を閉校
4月 人工関節センターを開設
PET-CTを稼動
(平成18年)
3月 総合大雄会病院 新病棟(南館)が竣工
64列マルチスライスCTを設置
9月 総合大雄会病院・中館を改修
大雄会桜分院を閉院
(平成19年)
2月 大雄会ルーセントクリニック開設
4月 災害拠点病院の指定を受ける
(平成21年)
8月 320列CTを設置
(平成22年)
4月 救命救急センター三次指定、
地域中核災害医療センターの指定を受ける
3月 地域医療支援病院として指定を受ける
4月 社会医療法人として認定を受ける
9月 音羽デイサービスセンター・アウンを株式会社デーエスへ事業譲渡
1月 遺伝相談室を開設
1月 ミャンマーにて診療開始
6月 第二医科学研究所を大雄会医科学研究所へ名称変更
(平成29年)
12月 総合大雄会病院 新棟(北館)が竣工
(病床数379床に増床)
5月 大雄会第一病院の産科、婦人科を総合大雄会病院へ移設
外来・入退院支援センター開設
6月 がん温熱療法(ハイパーサーミア)装置を設置
9月 大雄会クリニックの眼科を大雄会第一病院へ移設
12月 ミャンマー日本人診療所閉院
(令和3年)
6月 老人保健施設アウン30周年
12月 手術支援ロボット・ダヴィンチ導入
(令和5年)